山本寛斎さんの訃報に接して

2020.08.03
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巨星が落ちた。
世界中がコロナに苦しみ、内向きになっているそのときに。
「元気」をもっとも必要としているそのときに。
ファッションで元気を届け続けた、世界の山本寛斎さん。

病室で書いた3月4日付のメッセージ。そこには「『元気な山本寛斎』として必ず戻ってきます」と書いてあった。
もしかしたら何かを感じていたのかも知れない。

連休明けに、ふと心配になって事務所の方に容体を聞いた。これまで以上に元気との答えだった。
しかし、何故か2019年1月22日、国際ファッション専門職大学の開学記念シンポジウムに登壇頂いたときのことが頭をめぐった。

日本のファッション界にはビジネスとクリエーションの両方の才能を兼ね備えたひとがいない。そうした人材を育てなければ日本は世界からおいていかれる、と言って、われわれを激励してくれた。

12月16日、寛斎さんは私の事務所に来られて、将来のプロジェクトを熱っぽく語り、大学との連携の可能性を楽しそうに語ってくれた。
2月の突然の入院。4月初めの「日本元気プロジェクト2020」の延期の決定は、人々の意識がコロナで内向きになっている今こそ、世界に元気を届けたいと言っていた寛斎さんにとっては、病室での、苦渋の決断だったに違いない。

6月初め、プロジェクトを映像配信に切り替えることを決めたときの「企画イメージブック」に次のような一文があった。

いのちある限り、挑戦者でありたい!
苦しい今を、苦しいときを楽しんでやる!

そうです、寛斎さん。あなたはその通りに生きましたよ。苦しさを楽しさに変えて。
だから死の床では、きっと笑顔だったのでしょう。いつもの、あの優しい目を閉じて。
だから泣きません、私は。

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